1.ファミリートーク新北島 防災の取組のこれまで
私どものマンションは1985年入居開始の32年目ということになります。”この間、私たちは毎日大和川を大阪湾を見て生活していました”
私が管理組合の理事になったのが1994年、その年度末1995年1月17日が阪神淡路大震災でした。現在の理事長があわただしく、躯体の損傷を調べていたのを覚えています。結局直後の躯体被害はなく、数年後に雨水開所の多くが陥没していたのが分かった程度でしたが、住之江区からは、大阪湾の対岸で燃え続ける長田町あたりの煙を忘れることができません。10年が経ちました。理事会で、防災対策がいるのではないか、阪神淡路大震災の話題がだんだん風化し始めている今こそ取り組みを始めよう、ということでした。全員の賛同を受けましたが、予算
は数万円。防災対策のプロジェクトの必要性の啓蒙から始めましょうということになりました。
2005年の一年間はほぼ毎月、委員会を開きました。最初は理念から5月21日通常総会での「災害に強いマンションづくり」宣言、6月12日消防避難訓練参加率51%(104/203)と非常食の試食会、7月24日阿倍野防災センター見学、そしてポスター作りと忙しい一年でした。 2006年防災リーダー(区役所町会のとは別物です)を選出することになり、この際ということで、理事と各階フロアーの皆さんと懇談をつつ、防災リーダーの必要性と防災名簿の説明をするということに取り組みました。避難訓練も毎年取り組めるようになり、ずっと、
備蓄食料の予算化を課題にしていましたが、2009年からは予算かで認められました。
それは、2010年春先のことでした。ペルー沖で地震、津波が日本に届くことがわかりました。当時防災を担当していた私ともうひとりの副理事長は、大和川でそれを観察することにしたんです。なかなか来ません。”酒”も入りそれでも寒くなってきて引き上げようとした時、津波は大阪湾から遡上してきました。高さは5cm~10cm、速さがロードサイクル自転車なみ、12km/時というところでしょうか。慌ててスマホで写真に撮ろうとして失敗しました。
特徴がありました。大和川を真っすぐ上ったのではなく、堺市がわが早い、わかりやすく言うと、真西から遡上したのでした。このことは、翌年東日本津波の時に問題になりました。それにしても、飲酒しながら津波見物をしたことには、当時の認識の低さ、無知をさらけ出しているものです。
2011年3月14日、大阪の人間がこの日のことを書くのはあまりにも失礼な気がして気が引けるのですが、ここは大阪の防災ということでお許しください。
長時間の揺れ
のあった時、私は夜間中学校の卒業式の段どりの最中でした。あの揺れで住之江区WTCの壁が壊れ、エレベーターの事がクローズアップされたのは記憶にあると思います。あの時は、防災の権威、川田教授の再三の指摘が的中して、すごい、すごい先生だと敬服しました。その後先生はどんどん大阪の防災で前に出ていらっしゃるので少し安心しています。
前置きはここまで、大和川の脇に建つ私どものマンションでは大和川を遡上する津波を見た人がいました。高さは50cm、速度が問題で「自動車の速さ」だと証言を頂きました。「自動車の速さ」とは、少なくとも40km/時だというのです。(50km/時)だったかもしれないのです。やっぱり堺側が先、つまり真西から襲来しました。
マンションの防災対策委員会はあわてました。東日本大地震の震源が瞬時に南下、いつ東南海地震に発展するか、「次は自分たちが被災する番だ」という危機感は住民共通の事でした。
さて、私や住民の最も恐れていた事態が起きていたのです。その事態とは何だったと思いますか。
その日以降、NHKを先頭に全報道は、「大阪が津波に襲われた場合、2階以上に避難してください。」で、連呼していました。住之江区の場合、堤防を水が超えたら最初から2階は浸水します。しかも、漂流物(大型の船)が津波に乗ってきたら3階ももたない。最低でも4階以上でなければならないのは、“海を見て、川を見て”暮らす我々には自明の事なんです。逆に堤防が視界を遮っている戸建て住宅の人は、大間違いをしてしまうことになります。
大至急に是正しなければならない。住之江区住民の「命」の問題が“報道”によってもたらされていたのですから。
防災対策委員会を緊急で招集、津波対策避難訓練を企画しました。
・ 4階以上に避難する (住民には5階以上)
・ 防災対策本部を4階に置く
・ 大和川堤防、河川敷の人々に対してもスピーカー避難誘導をする。
● 報道NHKを始め連絡のつく報道を全て呼ぶ(新聞社含む)
・ 区役所の応援を要請する。 消防訓練を兼ねて消防署を呼ぶ 警察も
・ 最大限早期にやる その根拠となる 災害時初動マニュアルを作る
2011年6月19日 区役所・消防署・警察署・そしてNHK民放各テレビと数社の新聞社の前で「4階避難」を強調しました。2012年度も報道を呼びました。
直後から全報道は、「4階避難」と言ってくれるようになりました。
2013年からは、女性による避難訓練を目指しています。